パーソナルエージェントホールディングス株式会社|披村 淳一

中学生のときに父親がいきなり家を出た。残された母と弟たちを長男として守るしかなかった学生時代。恵まれた環境だったとは言えないが、やっと経営者と名乗れる場所にたどり着いた。

徹底したキャリアサポートを充実させ、派遣スタッフ全員が利用できる日払いサービスを実現するパーソナルエージェントホールディングス株式会社。幼少期は決して恵まれた環境ではなかった披村淳一社長に、経営者に至った原点を聞いた。

性格的に不安定だった学生時代

─まず、披村さんの生い立ちからお聞きしてもよろしいでしょうか

私の育った環境は、母親と弟2人の4人家族です。父親が多額の借金を残して家を出てしまったので、高校に入るまでがとにかく大変でした。ただ、母からはしっかり愛情を受けて育ちましたし、母方の祖父が教育費を捻出してくれたおかげで生活に苦しむことはありませんでした。それでも決して良い環境とは言えないですから、思春期は常に怒っていたというか、母や弟たちには強く当たっていた記憶があります。

─青春のような充実した時期を過ごしてはいなかったのでしょうか

一般的な学生のように充実した記憶はないですし、胸を張って語るようなエピソードも思いつきません。ただ、勉強も誇れるわけではないですが、予備校講師になりたかったのは覚えています。これは、スタディサプリで有名な関先生の影響で、当時は人気講師の年収が2,000万円と聞いて、単純に「それは目指したい!」と思ったんですね。私は英語が好きなせいか、英語だけは偏差値が高いので目指せるかもと(笑)。少年が見がちな淡い夢ですね。

成長した姿を見せるために営業成績の一位を獲得

─大学を卒業後は証券会社に就職されたそうですね

当初はテイクアンドギヴ・ニーズ(ブライダル事業の大手企業)を希望だったのですが、まったくダメだったので内定をいただいた中から証券会社を選びました。というのも、大学のキャリアサポートセンターで出会った女性が「金融を学んでおきなさい」と言うんですね。彼女は元経営者で非常に優秀な人でしたから、素直に聞いたほうが良いだろうと。さらに、アルバイトで人材派遣の営業経験があったので、その分野なら成果を出せると思いました。

「優秀な元経営者のアドバイスを素直に受けて証券会社に入社した」と話す披村氏。

─証券会社に入社してご自身の強みを活かせましたか

当時はテレコールマラソンという作業があって、電話帳を片っ端から営業を掛けながら、得意だった飛び込み営業と両立しながら働いていました。また、その頃はお世話になった祖父の死が近い時期だったので、最後に一位になった自分の姿を見せたいなと。そこで、とにかく必死にがんばった結果、無事にトップの営業成績を取ることができました。

その後、4年ほど自分でもやり切ったと感じていた矢先、東日本大震災で株価が軒並み暴落しました。そんな時期に、たまたま私が担当した商社の社長に気に入っていただいて、「うちに来ないか」とヘッドハンティングされたんです。廃プラスチックの再生事業だったのですが、私募ファンドを手がけたり不動産取引の仲介をしたりと、非常にバイタリティのある経営者でした。

─経営者としてだけでなく、一社会人としても影響を受けたのでしょうか

受けましたね。高校生の頃から漠然と起業したかったし、それもあってビジネスを学ぼうと商社へ移ったんですね。ただ、そこで様々な機会に触れるたびに、自分の実力不足を思い知らされるわけです。学生の頃に感じた「かっこいいから社長になりたい」で叶うほど、会社経営は甘くないと改めて思いました。ただ、息子が自閉症だと判明したことで、いろいろ考えるようになったんです。それは育て方だけでなく、障がい者雇用などの長期的な視点も考えた結果、ここで思い切って起業しようと決めました。

失敗を乗り越えて形成された日払いサービスの人材派遣

─現実に起業されたときの経緯をお聞かせください

25歳のころに共通の知り合いから紹介してもらった友人と一緒に立ち上げました。当時は飲み友だちでもあったんですが、お互い営業もできるし人を集める能力もあって意気投合したんです。ただ、彼はすでに起業を経験していたので、経営戦略は任せて社長と金融部門を私が担当しました。ただ、息子がきっかけで障害者雇用という長期的な想いはありましたが、事業そのものにはビジョンを持っていなかったんです。

そこで、当初は人材派遣業なら短期的に人も集められるし、売り上げも確保できるということで一旦テストしてみようと。ところが、まだ労働者派遣事業許可の認定を受けていなかったので、福島原子力発電所への派遣で人材ビジネスをテストしました。集客した作業員を車で運び、寮に住んでもらい原発関連のお仕事をしてもらいました。集客は求人誌で行いましたが、当時は日払い制度が普及していなかったので相当数の人数が集まりました。また、日当は原子力発電所と契約している建設会社からの売掛なので、弊社が現金で立て替えて支給するという仕組みです。

「創業当時は収益に意識が向いていたので、具体的なビジョンはまったく持っていなかった」

─テストしたビジネスモデルは手応えのある結果になりましたか

いや、一言でいうと失敗に終わりました。作業員を派遣していたあるタイミングで、売掛を飛ばされた(未払いのまま音信不通になる)んです。そのとき、業界的な慣習やずさんな仕組み、取引先とのやり取りのなかでビジネスを成立させていくのは難しいと感じました。仕組み的にも事業として成立しないよねと。やはりきちんと派遣事業の認可を受けようということで、オフィス向けの日払いを取り扱う人材派遣に切り替えました。

そこで、まずはオフィス向けの日払い需要を確認するために、テストで掲載費3万円分の広告を出してみました。すると、日払いを希望する事務員の希望者が40人以上も集まったんです。このテストによって応募単価の適性も確認できたので、コールセンター向けの派遣を大々的に開始しました。いくつか遠回りもありましたが、これが本当の意味で起業したと言える第一歩です。

─不遇かもしれない少年時代を過ごし、それでも諦めずに行動をやめなかった結果、現在にたどり着いた披村氏の原点をお聞きしました。勇気の出るお話をありがとうございました。

会社名パーソナルエージェントホールディングス株式会社
住所東京都渋谷区道玄坂1-16-6 二葉ビル 5F-C
代表披村 淳一
設立平成30年11月1日
Webhttps://personalagent.co.jp/
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