子どもの頃、家族が揃うのは月にたった1回だけ。その空間はどの店も華やかで、もちろん料理も美味しく、すべてが良い思い出として記憶に刻まれている。そんな誰もが楽しく食事とお酒を楽しむ空間を自分も提供したいと思った。
東京都葛飾区堀切菖蒲園の名店「もつ焼のんき」、このお店の名物”しろたれ”に衝撃を受け、二代目オーナーから暖簾分けの許可を得て立ち上がった株式会社ネクストグローバルフーズ。起業した当初は弱冠25歳。もつ焼きの形を変えながら、もっと多くの人たちに食べてほしいという想いを胸に、破竹の勢いで店舗展開を続ける荻野社長の原点を語っていただいた。
プロテストに合格するもボクシング活動を断念
─はじめに、荻野さんの生い立ちからお聞きしてよろしいでしょうか
愛媛県の出身ですが、単なる里帰り出産なので地元は東京ですね。3兄弟の長男として、幼少期から四谷三丁目で暮らしていました。また、当時は父が世界チャンピオンの鬼塚さんと畑山さんのマネージャーだったので、ボクシングが身近だったんです。そこで、私を弟のように可愛がってくれた畑山さんに憧れて、「プロになろう!」と決意し19歳から本格的に通い始めました。
ただ、父からは「1年でライセンスが取れなかったらセンスがないと思って諦めろ」とプレッシャーをかけられていて。結果的にはプロテストには合格したんですが、実はプロとしては1度も試合をしていません。というのも、プロテストの直前にデビュー間もないプロ選手と練習した際に、とんでもない実力差に驚愕したんですね。センスや技術など、あらゆる点で自分はプロボクサーとして成功できないと感じました。
─夢を追っていたプロテストの直前で精神的にはいかがでしたか
畑山さんに憧れていたので、ライセンスだけは取りたかったですし、その後は趣味としてやろうと思いました。それは父も同様で、プロにはなったけど試合はしていないんです。プロボクシングの世界は想像を絶するほど厳しくて、上にたどり着く人はあらゆる犠牲を払ってがんばっています。そんな彼らの熱量と比べると、私も本気とはいえやはり甘いんですね。例えばロードワークひとつ取っても、毎日10kmを私は走り込んでいませんでした。すべてを捨てても難しい世界という意味で見ても、当時の私には覚悟が足りなかったと思います。
幼少期に感じた飲食店の幸せな空間
─ボクシングを諦めた後、なぜ飲食店で起業しようと思ったのでしょうか
ボクシングを諦めてしばらくは、辛かった練習や自己管理の反動もあってタガが外れたように遊びました。ただ、羽目を外しながらも頭の片隅には飲食店をやりたいという思いがあったんですね。というのも、私の両親は2人とも少し特殊だったせいで、幼少期に家族で過ごした記憶がほとんどありませんでした。仕事もかなり多忙でしたし、家族が揃って過ごすのは月に1回あったかなという程度。そんな私にとって貴重な時間が外食だったんです。
「ボクシングを諦めて遊んでいた頃も、子どもの頃に幸せを感じた飲食店をやりたいと思っていた」
─子どもの頃だと余計に大切な記憶として鮮明に残りますね
私もそう思います。しかも、当時はまだバブル真っ只中でもあったので、お店もいま以上にきらびやかだったんです。お店によっては歌手が歌っていたり、生演奏をしていたりと子どもにとっては楽しい別世界でもあった。料理も美味しい上に、貴重な家族が揃う時間でもあったので、外食には良い思い出しかありません。また、振り返ると日本に勢いがあった時代ですから、盛り上がった景気も後押ししていたと思います。
一旦はボクシングにのめり込んでいましたが、実は子どもの頃から料理人になりたいとも言っていたんですね。いま思えば、一度は目指したボクシングを諦めた時点で、私の選択肢は飲食と決まっていたんだと思います。というのも、私が起業したのは24歳ですが、高校生の頃からしていたアルバイトが常に飲食店だったんですね。
衝撃の味を口にしてスタートした「もつ焼のんき」
─なぜ、様々なメニューのある中で「もつ焼き」だったのでしょうか
弊社の1店舗目は赤羽なんですが、元々は葛飾区堀切にある「もつ焼のんき」というお店がきっかけでした。すでに私が知った時点で創業30年近く経っていて、先代は屋台から始めた老舗だったそうです。その創業者がのちに引退する際に、私の友人のお母さんが買い取って、「もつ焼きのんき」を2代目として受け継ぎました。とても美味しいと聞いて食べに行ったところ、名物の”しろたれ”が想像以上のインパクトだったんです。
将来的には飲食業と決めていた私としては、その場で「これをやりたい!」と思いました。ただ、当時のメニューは串が5種類ほどと一品料理も5つ程度で、生ビールもなかったんです。そこで、私は飲食店としてのメニューと席数を増やしてやらせていただきたいと伝えました。その結果、本家は店舗を増やさないという契約と、弊社がライセンスを持たせていただいて事業をスタートしました。その後、変わることなくそのルールを守りながら、現在の「のんき」があります。
「はじめて口にした”しろたれ”に衝撃を感じ、起業するなら”もつ焼のんき”以外の選択肢はありませんでした」
─精力的に活動する荻野さんの原動力はどこから生まれるのでしょうか
かつて、私がいちばん遊んでた時期の仲間たちは、起業してがんばっている人が多いんですね。業界も様々で、芸能からエンタメ業界、美容、金融、不動産など、それぞれ全員が止まることなく成長しています。ですから私もまだ止まるわけにはいきません。さらに、弊社の理念である「お客様の時間をより豊かに、より素敵な時間へ華を添える」を原点に、引き続きがんばっていきます。
─家族の貴重な時間が外食だった。一度は夢みたプロボクサーを諦め、子どもの頃に感じた幸せな空間をこれからも作り続けたいと荻野氏は笑顔で語ってくれました。素晴らしいお話をありがとうございました。
会社名 | 株式会社ネクストグローバルフーズ |
住所 | 東京都新宿区富久町16-6 西倉LKビル 7F |
代表 | 荻野 貴匡 |
設立 | 2007年2月 |
Web | https://next-gf.com/ |