株式会社 八百鮮|市原 敬久

お金だけを目的とする経営に違和感があった。そんな時に大学で出会った経営哲学「企業は人なり」。お金の関係なんかよりも、知らない景色を一緒に目指せる仲間と組む。

故・松下幸之助の名言「企業は人なり」を地で行く経営者、市原敬久(いちはらたかひさ)氏。「八百屋を、日本一かっこよく。」のビジョンを掲げ、個店主義で業界の概念を覆す株式会社八百鮮(やおせん)。50万円を元手にスタートした八百屋ベンチャーも15年目を迎え、売上高は58億円に到達。決して八百屋とは思えない、かっこよく活きの良い社員を束ねる市原氏に経営者となった原点を聞く。

幼少期に見た父親への憧れから起業を決意

─市原さんは子どもの頃から経営者になろうと決めていたそうですが、なにかきっかけがあったのでしょうか

きっかけは幼少期の環境ですね。当時、父は車の部品工場を経営しており、会社を大きくしていく過程を見て育ちました。小学生ながら頑張る父は格好よかったし、そんな姿への憧れから自分も社長になりたいなと。ただ、残念ながらリーマンショックの影響で会社は倒産し、社員たちが離れていく現実も見ました。その出来事はとても衝撃的で、自分が起業するときはお金だけの繋がりにしないと決めていました。

─経営者の光と闇に触れて育ったとも言えますね。市原さんはどんな学生時代を過ごされたのでしょうか

それなりに遊びつつも、まあ割と普通の生徒だったと思います。ただ、小学校まではスポーツしか頑張らなかった私が中2になって勉強するようになったんです。というのも、2つ違いの姉がエリア内でトップの進学校に合格したことで、姉に負けたくない一心で猛勉強をした結果、無事に姉と同じ高校に合格できました。

大学のゼミで出会った経営哲学「企業は人なり」

─市原さんは、目標に対する“やりきり力”が驚異的だと思います。大学で経営学部を選ばれたのも、社長という夢を実現するためだったのでしょうか

その通りです。さらに実学的にも活きるだろうと、NPO法人経営パラリンピック委員会のゼミにも入りました。そこでは障害のある人が、いかに賃金を得るか経営のノウハウから研究しつつ、定期的なボランティア活動も行います。また、担当の先生がパナソニックの元経理部長だったこともあって、松下幸之助哲学を中心に学んでいました。

─NPO法人では具体的にどのような活動をされていたのでしょうか

活動の一つとして、300人ほどの規模で行うシンポジウムを年に1回開催してました。そこでは一定の作業所や、特例子会社の経営者を集めて障害者雇用について学びます。また、障害者雇用の第一人者、故・小倉昌男さん(ヤマト運輸創業者)のもとを訪ね、ヤマト福祉財団から活動資金をご支援いただいたこともありました。

「私は誰かに喜んでもらったり、人を育てたりするのが喜びなのですが、この考えに至ったきっかけは小倉さんの信条や松下幸之助哲学なんです」

─小倉さんからも影響を受けましたか

とても影響を受けました。というのも私は経営者に憧れる一方、違和感を持つこともあったんです。当時の例をあげると、ある社長によるテレビ局の買収劇や、政界への出馬などが連日ニュースになっていました。私はそういう報道を見るたびに、社長たちの主軸がマネーゲームのようにも映ったんです。ところが目の前の小倉さんは真逆というか、「経営は人を幸せにするためにある」とおっしゃっていて、松下幸之介さんと同じ哲学を持っていました。そこで私は徹底的に自問自答し、人を軸とする経営者を目指そうと決意しました。

スーパーマーケットでビジネスを学び、八百鮮を創業

─大学卒業後はどうされたのでしょうか

まず、私は大学の卒業前に「社長になる夢を3年後に実現させるから一緒にやろう」と、ゼミ仲間に約束をしていました。そこで「企業は人なり」を自分なりに考えて人材派遣の会社に就職しました。ところが、入社から2年が経っても営業職を好きになれず、さらには派遣業が人に役立っているのかも疑問でした。そんな中、約束の期限まであと1年というところでスーパーマーケットに転職しました。それが八百屋という仕事に触れたきっかけでもあります。

─様々な職業がある中で、なぜスーパーマーケットという業態を選ばれたのでしょう

ビジネスを自分なりに考え、まずは物を仕入れて売る構造を理解すべきだと思いました。すると両親が、日本一利益率が高いスーパーがあると教えてくれたんです。一般的には経常利益率が2%なら良しとされる業界で、なんと10%の利益を計上しているスーパーがあるぞと。そのビジネスモデルを学びたくて、すぐに転職を決めました。

─やはり市原さんは行動力が突き抜けてますね。ゼミ仲間との3年の約束はどうなったのでしょうか

転職から1年が過ぎ、私は八百屋の仕事にのめり込んでいました。しかも起業するにはまだスキルが足りないとも感じていたので、あと3年待ってくれと伝えました。するとゼミ仲間だった一人(現在の八百鮮の専務)が、「僕もそこに転職するから1年半で学び尽くそう」と提案してくれたんですね。そこで私たちはお互い得意なことを学んだのち、ゼミ仲間3人で八百鮮を立ち上げました。

超小型店の八百屋にこだわり、年商300億円を目指す

─まさに「企業は人なり」を創業前から体現されている素晴らしいお話ですね。最後に市原さんの今後のビジョンをお聞かせください

長期的なビジョンとしては、八百鮮のみで300億円の売上を目指しています。大手スーパーチェーンでは珍しくない数字ですが、八百鮮が目指している世界観は業態が異なります。私たちは商店街などの小型店にこだわりつつ、かつ生鮮に強いという領域でのトップを取りたい。そのためにも、まずは5年後の2030年までに150億円という中期ビジョンを掲げています。

「私たちは町や商店街に愛される店として、活きの良いスタッフたちと地域に元気を届ける八百屋でありたい」

─決して高額ではない野菜という商品価格を想定すると、途方もない道のりにも感じます

そういう側面もありますが、私は100円を積み重ねていった先の300億円という面白さを感じています。さらに、一つ一つ仲間たちと積み上げながら、「やったぜ!」とハイタッチする瞬間や、できなかったことができるようになる社員を見る瞬間も最高に嬉しい。そのためにも仲間とやりたいことをやり、一緒に目標を目指せる会社を実現させます。

子どもの頃に見た父の姿に憧れ、社長という職業を目指した市原氏。単なるマネーゲームではなく、社員たちとまだ見ぬ世界を目指す会社にしたい。「八百屋を、日本一かっこよく。」というビジョンからも、氏の信条とする経営哲学「企業は人なり」が溢れている。

採用情報

■八百鮮について

日本に、鮮度を。 私たち「八百鮮」は、シャッター街になりつつある商店街であえて八百屋を運営しています。 なんでもネットで買えるこの時代にあえて八百屋をやる。当初は反対意見も多くありましたが、買い物しに来たのではなく、あなたと話をしに来た。そう言ってもらえる場所でありたい、人と人が繋がる場所にしたいと考えています。 街に活気を与えていることは、ミッションビジョンの実現を目指した副産物。 私たちの想いを体現するほど、社会貢献につながる理想のビジネスだと確信しています。

会社名株式会社 八百鮮
住所大阪本社:大阪府吹田市江坂町1-21-17 ESAKA松尾ビル4F
名古屋支社:名古屋市昭和区山花町34−2
代表市原 敬久
設立平成22年12月1日
Webhttps://yao-sen.co.jp/

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