高校2年生の時に父が他界。残されたのは母と大学生の姉、受験を控えていた中学3年の妹。家族で唯一の男として、夢よりも家族を守らなくてはいけないと覚悟を決めた。
世界に誇るアニメワンピース、呪術廻戦をはじめ、超有名アパレルブランド♯FR2とのコラボなども次々に実現し、有名スポーツ選手や芸能人にも広く愛されているアパレルブランド「MADE IN WORLD&CO」。組織を牽引する金栄澤(キムヨンテ)氏はどんな環境で育ち、なにを見てきたのか。ヨンテ氏の口から語られたのは、現在の成功とはほど遠い意外な過去だった。
突然の父の死をきっかけに夢を捨てて家族を守る
─はじめに、ヨンテさんの幼少期や学生時代からお聞かせください
学生時代はサッカーにのめり込んでいて、小学生の頃からすでに優秀でした。特に、朝鮮学校は高校サッカーの名門として有名で、結果的には高校まで常にエースでしたね。また、中学3年生のときに発足したJリーグを夢見て、高校ではプロを目指していたんです。一方では、在日朝鮮蹴球団というサッカーチームから誘いをいただいたんですけど、Jリーグ一本でいくと決めていたので断りました。
─Jリーグが急激に注目されていた時期ですね
周りからも「ヨンテならJリーグを目指せる」と言われていましたが、高校2年生のときに父が亡くなってしまった。当時は姉が大学生で学費が必要でしたし、中学3年の妹は受験費用や塾代も掛かります。とてもじゃないですが、自分の夢を優先する気持ちにはなれなかったですね。今となっては言い訳かもしれませんが、男である自分が家庭を守らなければと思い、高校の卒業と同時に仕事を始めました。
「 家族に唯一の男が自分だけになったことで、プロの道はあっさり手放しました」と話すヨンテ氏。
─プロの道を諦めたことに後悔はありませんでしたか
おそらく家族を支えずに夢を選んでいたら、その後悔のほうが大きかったと思います。ただ一方では、Jリーグの試合をテレビで観るたびに「自分のほうが確実に上手い」という気持ちはありました(笑)。今でこそなんとも思いませんが、当時は相当くやしかったんでしょうね。
稼ぐ=独立の思いで起業を決意
─夢を諦めたことで、高校を卒業後はすぐに起業をされたのでしょうか
最初は銀行に就職して4年ほど勤務しました。ただ、私は子どもの頃から「稼ぐ=起業」という思いが漠然とあったので、お金を稼ぐためには独立したほうがいいなと。そんな私が最初に手がけたビジネスは銀座のバーでした。前職で貯めたお金を初期投資がかかる実店舗にすべて投資しました。しかも、バーは景気に左右される上に利益率が低く、在庫も抱えなければいけないし、初期投資の回収にも時間が掛かる。完全に、儲かるビジネスの原則とほど遠い事業を始めてしまったわけです(笑)
─すでに数字についての知識はあったのでしょうか
まったくありませんでした(笑)。もし私が大学に行って経営について学んでいたら、おそらく銀座のバーという選択はなかったでしょう。ただ、結果的にこの判断は正解だったんです。銀座という場所は想像以上にお金持ちが多い上に、お客さんを通して人との繋がりが増えたことも想定外の幸運でした。
─飲食店での勤務経験がない状態で、いきなりバーの経営に賭けてしまったと
当時は若かったですし、お酒も人と話すのも好きなので、なんとかなるだろうと思っていました。ただ、実際にはお客さんとして飲むのと、運営者として接客しながら飲むのではまったく違うんですよ。というのも、自分がお客さんなら好きなペースで飲めるし、もういらないと思えば止めることもできます。ところが、お客さんに注いでもらったお酒は断るわけにはいかないんです。それが10人いれば、その分の量を飲むことになるので、毎日が本当に大変でしたね。
結果的には、20代の体力もあって身体は壊さなかったですが、一方ではある思いが湧いてきました。特に、自分の将来を想像したときに「本気で続けたい仕事がバーなのか」と、考えるようになったんです。
やると決めたら、どうすればできるかしか考えない
─判断は正解だったものの、長く続ける事業ではなかったということでしょうか
まず、バーでの繋がりを活かして何かできないかなと考えて、昔から好きだったファション事業をやりたいと思いました。というのも、みなさん高級なスーツを着用している一方で、「どこかに良いスーツないかな」とおっしゃる人も多かったんです。そこで浮かんだビジネスモデルがオーダースーツでした。
すでにお客さんはバーにたくさんいるので、あとは良い仕立屋さんを見つければ始められるなと。また、フルオーダーなので在庫リスクもないし、良いクオリティならリピートもしていただけます。さらに、お客さんは富裕層や芸能関係者なども多かったので、新たな紹介にも繋がると思いました。
─仕立屋さんということは、すでにアパレルの人脈を持っていたのでしょうか
バーの時と同様、知識も繋がりもありません(笑)。ですから、まずはスーツ会社を片っ端から調べて、ひたすら飛び込み営業しました。「銀座でバーをやっていてお客さんは既にいます。一緒にスーツ事業をやりませんか?」と声をかけたんです。運よくパートナーも見つかったので、一気にフルオーダービジネスをスタートさせました。その後はバーで培った信頼でお客さんも増え、順調に売り上げも伸びていたので飲食業からは撤退しました。
「バーもアパレルも知識やスキルに関係なく、やりたくなると自分を止められないんです 」
─ビジネスに必要とされる行動力と巻き込み力を自然体で実践できるのは素晴らしいです
やりたいと思ったら、後先を考えずにやってしまう性格なんですね。というのも、自分ができると思えるなら必ず実現するというのが私の考え。ですから、オーダースーツが軌道に乗ったタイミングで、次はセレクトショップにも挑戦しました。
私はヨーロッパカジュアルが好きなので、自らブランドをセレクトしたり、イタリア時計のGaGaMILANOと代理店契約を結んだりと、やりたいことはすべて実現させています。その結果さらに洋服が好きになり、ますますアパレル事業にのめり込んでいきました。これが現在のMADE IN WORLD&COへと繋がった私の原点です。
難しい挑戦すら平然と語り、次々と野望を実現させるキムヨンテ氏。「世界を繋いでみせる」という志のもと、2023年6月にはMADE IN WORLD&COの中国全土への進出が決まった。世界中の人が愛するブランドになる日もそう遠くないのかもしれない。
会社名 | 株式会社CUORE JAPAN |
住所 | 東京都台東区東上野1-13-10 Wada Bldg 1F |
代表 | 金 栄澤 |
設立 | 2011年9月30日 |
Web | https://made-in-world.jp/ |