営業成績はダントツの最下位。理想と現実の狭間でうつ病を発症。小さな努力の積み重ねで絶望から脱出。起業してからも困難の連続だったが、世界一変わった会社を実現するために仲間と本気で仕事に熱狂していく。
ブランディング事業を軸に、YouTube、X(旧Twitter)、Tik Tok、様々なSNSで独自のビジネスマインドを発信し、多くのビジネスパーソンの支持を集める西崎康平氏。経営の傍らセミナーにも精力的に登壇し、“世界一変わった会社”TOMORROWGATEの実現を目指す西崎氏に経営者としての原点をお聞きした。
中学校までは優秀な生徒だった
─西崎さんの原点を探るということで、まずは幼少期の頃のお話からお聞かせください
塾へ行くような子がいないほど田舎だったこともあり、小、中学校まではかなり優秀な生徒でした。特に中学では7、8クラスの中で成績はトップだったし、スポーツも得意で生徒会長にもなりました。高校で暗黒期を迎えるまではかなり順調だったと思います。
─絵に描いたような優秀な生徒が、高校から暗黒期を迎えるというのはどういう意味でしょうか
まず、中学での内申点がほぼ満点だったので、推薦で好きな高校を選べたんですね。ただ私は拘束が嫌いだったので、トップの進学校より服装や髪型などが自由な学校を選びました。勉強だけでなく純粋に高校生活を楽しみたいという想いが強かったです(笑)。
優秀だったはずが一転、自信を喪失した暗黒時代
─その選択がなぜ暗黒時代になってしまうのでしょう
私も完全に想定外でした。校風が自由とはいえ上位の進学校で、ほとんどの生徒が中の上ぐらいの学力なんです。特に最初の学年テストでは、私は270人のうち下から2番目でした。そこで心が折れてから、自信を失うまではあっという間(笑)。そこから高校生活の3年間、なに一つ頑張ろうという気持ちを持つことができませんでした。
「小中学校は田舎だからこそ勝ち抜けたことに気づけず、多方面から生徒が集まる進学校では勉強せずに勝てるわけがない。そんな単純なことに気づけなかったんです(笑)」
─今の西崎さんからは想像できないですね。その後どのように立ち直ったのでしょうか
ひとつの転機っぽいことで言えば、3年生の体育祭でブロック長をやったんですね。いくつかのブロックに分けて対抗する長として、久しぶりに人前に立つ役割をやりました。それともう一つ、大学受験については頑張ったと言えます。当初はまったく勉強してなかったので、志望校の模試の結果は絶望のE判定。そこで3年の途中から本気になり、最終の模試でなんとかC判定まで持っていきました。ギリギリだとは思いますが、希望する大学に合格したおかげで暗黒からは抜け出せた気がします。
大学時代のアルバイトで経営者の業務を経験
─西崎さんにとって、大学時代のアルバイトが良い経験になったそうですね
良い経験でした。高校1年から7年間ずっと同じピザ屋さんにいて、色々と任せてくれるオーナーだったんです。特に大学生になってからは、私がオープン作業からクローズの集計を行い、貸金庫へ売り上げを入れに行く。さらにはアルバイトの面接からシフト作成など、あらゆる業務を裁量で任せてくれたんです。
─ある意味で変わったオーナーさんとも言えますが、そのアルバイトが起業のきっかけに繋がったのでしょうか
それも一つの要素ですが、魅力的な会社がなかったことも影響しています。最初は就活しようと色々調べたものの、どの会社を見てもあまり惹かれない。書いてあることがどの会社も同じで、アットホームな会社とか、信頼と実績がどうのとか、ワクワクするメッセージはありませんでした。さらには就職していた先輩たちも、「仕事がつまらない」「会社へ行きたくない」「上司がムカつく」という類の話題ばかり。
─社会に出た多くの若者がぶつかる仕事の壁でもあると思います
そうですよね。ただ、仕事の時間は人生の大半を占めるじゃないですか。睡眠を7、8時間と考えると、起きてる時間の半分以上は働いてるわけです。その時間がつまらないなんて耐えられないし、私はそんな人生を受け入れたくない。しかも私は拘束が苦手で、定時に会社へ来いとか、嫌なお客様に頭を下げるとか、理不尽な上司も嫌だしスーツも着たくなかった(笑)。そこでたどり着いた答えは、「働きたいと思える会社が無いなら自分で作ればいい─」これが私の起業のきっかけですね。そこで、まずはビジネスを学ぼうと思い、人材系ベンチャーに就職しました。
営業成績ビリに自信を失うも、3年目で支社長に就任
─就職先では営業をされていたそうですが、初めはまったく結果が出なかった話をYouTubeで拝見しました
おっしゃる通り、最初の1年は語り継げるほど悲惨でした。当時は理想だけで行動が伴ってないし、さらには何もかも怖かったんですね。テレアポで断られるのはもちろん、電話のガチャ切りも怖いし、アポを取れないのも怖い。どうすればアポが取れるかとか、自分なりにシミュレーションをしても、怖くて行動に移さないんですね。結果、新卒の同期入社が25人のうち、営業成績は圧倒的な最下位でした。あの時は心から自分をダメ人間だと思ったし、完全に自信を失ってうつ病にもなりました。
─こちらも今の西崎さんからは想像できないですが、どのように立ち直ったのでしょうか
うつ病の治療をしながらも、「2年目からは変わりたい」という思いはあったんです。そこでトップセールスの上司に頼んで、毎日朝方まで営業ロープレに付き合ってもらってました。その甲斐もあって、2年目の夏に初のお客様を獲得できたんです。それが自信に繋がり、次の営業先ではさらにうまく話せるようになった。そこでまた契約が決まり、さらに自信が付くというスパイラルに入って、2年目の後半からの成績は常によかったですね。
─1年目は絶望的な状況から、その後の西崎さんは大阪支社長をされていたとお聞きしています
それはたまたま人がいなかっただけで、決して十分な経営力があったわけではありません(笑)。ただ、結果的にはそのおかげで本格的な経営を学ぶことができました。さらには自ら社員を採用したり、彼らをフォローしたりと、いわゆるプレイングマネージャーも経験できた。その後に入社5年目を迎え、次を任せられる人材が育ったタイミングで起業に踏み切ったという流れです。
「大阪で一番オモシロイ」と言われる会社へ
─では、最後に西崎さんの今後の展望についてお聞かせください
今は2025年までの中期的なビジョンとして、“「大阪で一番オモシロイ」と言われる会社になる”を掲げています。(VISION MAP:https://tomorrowgate.co.jp/policy/)。このビジョンを達成するためにも、いま以上に影響力のある案件に携わっていきたい。言える範囲になりますが、最近では関西テレビさんやプロ卓球チームの琉球アスティーダさんなど、これまでとは異なった業界の方からもお声をかけていただいています。
「まだ発表できないのが残念なんですが、ここ数年でとんでもなく面白い事業に挑戦していくので期待してください」
─ビジョンマップを見させていただくと非常に興味深い内容ですね。中期目標は実現しそうでしょうか
2022年度の時点で定量的な進捗率は62%でした。今期(2023年度)の3月末で75%程度の進捗を見込んでおり、あと2年で25%をクリアさせていきます。また、その後のことを聞かれることも多いのですが、それは2025年に改めて設定すると思う。今は全力で中期ビジョンの達成に注力したいですね。
「世界一変わった会社で、世界一変わった社員と、世界一変わった仕事を創る─」というビジョンを掲げる西崎氏のインタビューからは、困難すらも楽しんでいる圧倒的な熱量があふれていた。「これからも失敗や苦労はあると思う」と話しつつも、西崎氏はTOMORROWGATEをとんでもない高みへ連れて行くだろう。
採用情報
■トゥモローゲートとは
トゥモローゲートが手掛けるのは企業の付加価値を高める企業のブランドづくり。経営課題を抽出し理念の構築から浸透そして発信までを企画し、多くのファンが生まれる魅力的な会社づくりを提案している会社です。企業ブランド構築までのコンセプト設計はもちろん、Webサイト制作、会社案内、パンフレット、映像などあらゆるツールをクライアントのCIに基づき設計していきます。対外的なアウターブランディングに加え、社員に対する理念やビジョン浸透を目的とした社内体制、制度設計などインナーブランディングまで総合的なコンサルティングを提供しています。
■私たちが一緒に働きたい人
トゥモローゲートの価値観に共感し、一緒に面白いモノを世の中に発信していきたい人
会社名 | トゥモローゲート株式会社 |
住所 | 大阪本社:大阪市中央区西心斎橋1-6-32 アニーズビル2階 東京支社:東京都港区芝5-13-11 ザイマックス三田ビル8階 |
代表 | 代表取締役 最高経営責任者 西崎 康平 |
設立 | 2010年4月1日 |
Web | https://tomorrowgate.co.jp/ |
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