Scalably株式会社|山本 純矢

仕事はゼロから何かを生み、世界中の人を楽しませる壮大なアドベンチャー。まだ誰も見たことがない景色を見るために、同じ熱量を持つ仲間たちと冒険を続ける。

Web3.0時代のコミュニティ構築を推進するScalably(スケーラブリー)株式会社。大学を卒業後は海外へ移住し、IT産業における事業の創出とグロースを牽引。現在はWeb3市場で培った知見を活かし、ブロックチェーンの領域において様々な企画・運営を手がける山本純矢CEOに話を聞き、経営者としての原点に迫った。

オンラインゲームにのめり込んだ中学時代

─最初に、山本さんの子ども時代や学生の頃についてお聞かせください

両親と姉がいて、祖父と祖母が米屋を営む家庭に生まれました。両親はちょっと変わっていて、警察の厄介にならない範囲でとにかく暴れてこいと(笑)。言葉にすると乱暴ですが、なんでも良いからやりたいことを追求しろという意味ですね。それは勉強でも構わないし、スポーツでも遊びでも好きなようにさせてくれました。

─自由奔放な子ども時代だったんですね

確かに小学5年生まではガキ大将でしたが、もうひとり同じような生徒がいたんです。その相手と6年生になって揉めてしまい、学年全体を巻き込んだイジメを経験しました。以来、5年生まで全員と騒いでいた生活から、一転して誰とも口をきかない状況になってしまって。両親もその状況に気づいてましたが、学校だけは休むなと言われて卒業まで通い続けました。

中学時代は、田舎にありがちなヤンキーの多い地元の中学校に通いました。その頃は、急激に進化していたインターネットに興味を持ち、オンラインゲームにどっぷりだった記憶しかありません(笑)。

価値観が大きく変化したマレーシアへの留学

─高校時代の留学が大きなターニングポイントになったとお聞きしました

交換留学制度を利用して、マレーシアに1ヶ月ほど留学したんです。前半はクアラルンプールのホストにお世話になり、後半は片田舎で過ごすスケジュール。そこで、大災害となった2009年のスマトラ沖地震が発生したんです。私はちょうど田舎への移動中で事なきを得ましたが、約20万人の死者を生んだ巨大地震と大津波。さっそく私も地元のボランティア活動に参加させていただきました。

「歴史的な被害を生んだスマトラ沖地震に遭遇し、これまでの価値観が根底から覆った」と話す山本氏。

─人生の価値観に影響する経験だったのではないでしょうか

おっしゃる通りです。田舎しか知らなかった私にとって、マレーシアでの経験は非常に意味がありました。それまでは日常にあまり夢を持てず、だからこそゲームに逃げていた感覚でもあったんです。ところが、留学先では自然災害だけでなく、様々な国の人たちとの交流も刺激的でした。今後はあらゆることに挑戦しようと思い、大学は東京へ行こうと決めました。

─大学へ進学するための成績は十分だったのでしょうか

高校2年の時点で成績は最下位のほうでしたね(笑)。ただ、将来的には国外へ出る足がかりとして、国際系の学部がある大学へ進みたいと思いました。そこで、ゲームも遊びもやめて勉強した結果、常に学年トップ10には入るようになって。がんばった甲斐もあり、青山学院大学 国際政治経済学部に入ることができました。

努力の結果が実らなくても、頭を切り替えて次のステージへ

─偏差値40の高校から青学という結果は驚異的です。東京での大学生活はいかがでしたか

授業の大半が英語で行われるため、1年の頃は英語の勉強にも時間を割いてました。その後、2年生になってゆとりができたので、興味があったコンピュータグラフィックス(以下、CG)の学校へ通い始めて。ですから、平日は大学で週末はCGの学校へ通い、空き時間はアルバイトもしていたので、あまり遊んだ記憶はないですね。

─なぜ、CGを学ぼうと思ったのでしょうか

子どもの頃から、オンラインゲームを手がけるプロデューサーや、映画などの映像に興味がありました。ただ、なぜか当時の私はCGを学べば映画やゲームが作れると思っていたんです。当たり前ですが、CGを学んだだけでは作れないという事実を学んでから知ることに(笑)。相当の無知でしたね。

─大学の休みである週末を利用したのに意味がなかったと(笑)

ところがそうでもなかったんです。3年のときに、映像制作を行う美大生のインカレ団体に入れてもらいました。内部はCG・手描きアニメーション・実写映像に分かれていて、私はCGの指導者として活動することになったんです。ところがCGのスキルがあったところで、やっぱり絵や映像のセンスは美大生に叶わない。ただ、幼少期のゲームや映画でコンテンツの魅力は感じていたので、私は運営側として関わればいいじゃないかと。そこで頭を切り替えてビジネスの勉強を始めました。

起業は未知の世界を見るための手段

─前職のファウンダーを経て、現在も様々な事業で精力的に活動されています。山本さんを突き動かしているものはなんでしょうか

私はアドベンチャーが好きなんです。中学生の頃は現実の世界に希望が持てず、だからこそゲームばかりしていました。ところが高校1年で海外に出て、現実の世界もこんなに面白いんだと気づけたんです。以来、何事も自分の目で積極的に確かめて、興味のあることはどんどんやろうと決めました。

「売り上げも大切だが、お金はさらに大きな冒険をするためのツールに過ぎない」

─CGや留学の経験がどのように事業に結びついたのでしょう

まず、中学のときにマインドマップを作ったことがあるのですが、私のやりたいことは冒険でした。それを後になって突き詰めたところ、2つの定義に行き着いたんです。ひとつ目は、宇宙や海底に行くなどの物理的な冒険ですね。そしてもうひとつが「無いものを生み出す」という創出やゼロイチを行うビジネスも冒険なんです。まだ世にないものをプランして、チームで目的地を目指し、その景色を仲間と一緒に見る。ビジネスは最高の冒険だと思います。

─ある意味では宇宙より壮大で、海底より神秘的な冒険かもしれないと

おっしゃる通りです。さらに、私は実務的な問題解決が好きだし、世の中の役に立つことがとても嬉しいんです。また、その手段やプロセスを自由にデザインできるのが起業だと思っています。ですから、起業はあくまで冒険の手段にすぎません。これからも、同じ熱量を持つ仲間と一緒に未知の景色を目指していきます。

Web3やブロックチェーン、NFTなどITの進化が加速する中で、山本氏のような経営者を「異次元にいる人」と思うかもしれない。ところが、山本氏から出る言葉やエネルギーは、未来にワクワクしている素直な少年のようだった。今後も続くアドベンチャーで、さらなる新たな景色を見せてくれるのだろう。

会社名Scalably株式会社 (スケーラブリー)
住所東京都港区虎ノ門4丁目1-6 第二大石ビル 5階
代表山本 純矢
設立2021年5月
Webhttps://scalably.com/
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