新卒入社と同時に訪れた、Windows95と携帯電話ブーム。インターネットの時代の未来を確信し、通信インフラでの勝負を決めた。自動化とAI時代を見据え、より効率的な次世代のインフラを牽引する。
岡山理科大学を卒業後、エンジニアとして通信エンジニアリング会社に入社。携帯電話の爆発的な普及とインターネットに希望を見出し、インフラテック事業を推進するベイシス株式会社を創業。2021年には東証マザーズ(現グロース市場)に上場させ、5GやIoTを軸に次世代を担う通信インフラの構築を進めている。21世紀のデジタル社会を見据え、ゼロから上場を実現させた吉村公孝氏に起業の原点をお聞きした。
子どもの頃から拘束されない自由な人生を選択
─吉村さんは職人揃いのご家庭で育ったそうですね
父は主に住宅のインテリア関係の職人で、母は服飾の職人であり技術屋さん。兄はかつて洋菓子職人だったし、弟はグラフィックデザイナーという職人一家です。子どもの頃の私は負けず嫌いで、常に1歳上の兄を目標に頑張っていました。例えば、1年生の時に2年生の教科書で勉強するような子どもだったし、おかげで成績もスポーツもそれなりにできるほうでした。ただ、中学生になって思春期を迎えたことで、頑張るモチベーションは負けず嫌いより女子にモテたい欲に変化しました(笑)。
─高校は地域でトップの進学校を選んだのも、モテたいモチベーションの結果でしょうか
自宅に近い高校を選んだところ、たまたま進学校だったのです。そもそも私はモテたいとか負けず嫌いなだけで、勉強なんて好きじゃなかったですから(笑)。また、私は大学どころか高校にすら必要性を感じていませんでした。おそらく、職人である両親が中卒だったことで、学歴には興味がなかったのかもしれません。当時の私としては「高校くらい出ておこうか」程度に過ぎず、部活と彼女に会うために通っていただけでした(笑)。
─純粋に高校生活を満喫されていたわけですね(笑)。ところが、学歴に興味を持たなかったはずの吉村さんが、結果的に大学へ進学されています
実はそれも不純な理由からなんです。まず、一切の勉強をしなかったので、3年生になった頃の成績は下から何番目というレベル。一方、当時の彼女は大学進学を目指し、ずっと受験勉強をしていました。このままでは大学生と社会人のカップルになり、話も合わなくなって別れてしまうかもしれない・・。そんな不純な動機から、一気に大学受験モードに切り替えました(笑)。
時間労働の対価に限界を感じて起業を決意
─常に独特というか、独自の価値観で人生を選択されてきたと(笑)。その後、大学生活中に起業のきっかけがあったとお聞きしています
まず、私は大学入学時に家を出る際、一切の経済的支援はいらないと両親に伝えました。親は二人とも中卒でしたので、私としては高校進学だけでも感謝しかなかったのです。そこへ今度は私立大学となれば、さらに高額な費用が掛かります。これ以上は甘えられないと思い、学費や生活費は自分で捻出すると決めて家を出ました。
「若い頃は天邪鬼というか、反発心が強かったと思います。特に、“右へならえ”のような、全員が同じ方向へ進む風潮に違和感があったんです」と話す吉村氏。
─お小遣いのためにアルバイトをする学生はいますが、さらに学費や生活費となるとかなり苦労されたのではないでしょうか
非常に大変で、大学では勉強しつつ、遊びたいけど稼がなければいけない。当然アルバイトへ行くと遊べないし、逆に遊んでいれば稼げないというジレンマがありました。とはいえ時給である限り、どう頑張っても稼げる金額に限界もあります。当時19歳だった私は、「一定以上を稼ぐためには仕組みが必要」と思い始めていました。
─自ら労働の対価を経験したことで、起業家の思考が生まれたわけですね
おっしゃる通りです。さらに、私は1991年の入学なので、世の中ではちょうどバブルが弾けたタイミングでした。都市銀行ですら倒産したり、合併で窮地をしのいだり、就職=安心という神話が崩れ始めた時期でもあったのです。私は当時20歳でしたが、卒業後は就職せずに起業しようと決めました。
携帯電話の普及でインターネット時代の到来を確信
─20歳で起業を志した吉村さんが、大学を卒業後に就職されたのはなぜでしょうか
当初は就職する気なんてありませんでした。1990年代の前半はフリーター全盛期で、就職しないで自由に働こうという時代。就職は規則や責任など、物理的にも精神的にも拘束されてしまうというイメージでした。私もフリーターとして働きながら、起業のネタやきっかけをリサーチしようを思っていたんです。そんな私が就職した理由は、「一旦、会社員として就職するのも無駄ではない」という先生からのアドバイス。確かに、自ら組織の一員を経験するのもプラスになるだろうと、独立系の通信エンジニアリング会社に就職しました。
─エンジニアとして就職されて、結果としてはいかがでしたか
ちょうど入社した年が1995年。Windows95のブームと携帯電話の普及が加速しました。さらに、私がいた会社が、携帯電話や通信インフラのビジネスに参入したんです。当初は誰も携帯電話を持っていなかったのに、1年もしないうちに続々と見かけるようになりました。21世紀はインターネットと携帯電話、PCの時代になると確信したのを覚えています。
─高額で一部の人しか使っていなかった端末が、一気に普及し始めた頃ですね
その通りです。当時は携帯ショップが爆発的に増え、端末を無料でばらまいたほどでした。すると契約者が増えるにつれ、巨大な通信を支えるインフラが必要になります。配るだけの販売者は溢れるほどいても、エンジニアはスキルとして圧倒的に少数です。私は通信のエンジニアでしたし、この領域の技術者として勝負すると決め、入社2年目で退職しました。3年ほどフリーランスで活動し、27歳で法人化したのが現在のベイシスになります。
効率的なICTを可能にし、より良い日本を実現したい
─ベイシスでは2026年に売り上げ100億、2030年に300億と目標を掲げる一方、その先にあるゴールというか、吉村さんのビジョンがあればお聞かせください
定性的なイメージとして、弊社が業界の新しいスタンダードを作ろうと思っています。言葉にすると、「ベイシスが業界全体を良くしたよね」と言われる状態を目指す。さらに、そういう認知を業界で獲得できれば、売り上げや時価総額は結果としても付いてくるでしょうから。
「業績としての定量的な目標だけでなく、長期的には会社が存在する意義や在り方を前提とした活動が理想です」
─具体的には通信インフラ業界をアップデートしていくということでしょうか
おっしゃる通りで、業界をより良くアップデートできれば日本も良くなると思うんです。そのためには、ICTのインフラが低コストで高品質に構築でき、またそれが維持できるかが核になります。まずは現在の古いやり方を捨てつつ、労働集約の側面+テクノロジーを活かしたい。そのため、いかに自動化を活用し、より効率的にインフラを作れるか日々トライし続ける。それを実現すれば、業界が良くなるのも間違いありませんが、同時に社会も良くなっていくと確信しています。
「とにかく拘束されるのが嫌だった─」自宅近くの高校を選び、自由を求めて過ごした学生時代。そんな吉村さんが衝撃を受けた携帯電話×インターネットの未来。次世代の核となる5GとIoTの領域で活動するベイシスと吉村氏に引き続き注目したい。
会社名 | ベイシス株式会社 |
住所 | 東京都港区芝公園2丁目4-1 芝パークビルB館13階 |
代表 | 吉村公孝 |
設立 | 2000年(平成12年)7月19日 |
Web | https://www.basis-corp.jp/ |